30代半ばから髪のうねりが発生

元々ストレートな髪質だった私の髪。それが30代の半ばに差し掛かった頃から、根本からうねるようになってきてしまいました。気づいた頃からストレートアイロンで伸ばしてスタイリングするようになりましたが根本的な解決には至らず。自宅で簡単にできるケアはないかとアレコレ試してみることにしました。

ベルタシャンプー

まずは頭皮の環境を整えることを意識して、シャンプーの前に大きめのブラシでブラッシングし汚れを浮かせてから洗うようにしました。直接髪のうねりに効果があったかは定かではありませんが、しっかりと汚れが落ちることで以前よりも頭皮がスッキリと引き締まった感じがします。さらに、シャンプーして髪を乾かすまで、以前はだらだらと時間を開けてしまっていたのですが、雑菌の繁殖が起こると美容師さんに言われたのですぐに乾かすようにしました。

そのようなヘアケアと頭皮ケアを続けて半年ほど経った頃、以前に比べて頭皮の色ツヤが良くなり、うねった髪も少なくなったことに気付きました!20代の頃のようなつるんとしたストレート毛が増えたのは、努力の賜物であったとおもいます。今後も同じようなケアを続けて、加齢による髪のうねりとうまく付き合っていこうと思います。

毛穴は重力に逆らえない

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ただいま30代前半ですが、気付いたのは25歳頃ですかね。

ちょうどその頃沖縄移住して、肌を焼くのが趣味になり沖縄の暑い日差しで肌を焼いていました。

もちろん顔も例外ではありません。

その時にせめて顔だけでも日焼け止めを塗っていたらと思うと後悔しかありません。

当時はこれからも美白に目覚めることなどないと言っていてお構いなしでした。

日焼け肌の女性でも毛穴が目立たない人もいますが、きっとものすごく美容に気を使っているのだと思います。

だいたいの人は近づくと毛穴がガッツリ目立ちます。

私の場合は沖縄にいると普段汗で流れ落ちるのでファンデーションをしない生活でした。

しかし、里帰りしようと思い久しぶりに化粧をしようとファンデーションを塗りだすと、毛穴が埋まらないんです。

とてもショックだったのを覚えています。

今は日焼けをしなくなって2年ほど経ち、絶頂期よりも毛穴の開きは少なくなりましたが、目立たないとは言えません。

ファンデーションや下地で隠せないので毛穴引き締め化粧水など色々試しましたが市販のものでは限界です。

残すところはあとはエステや美容外科しかないでしょう。

若くて日焼け肌に憧れている女性がいたら、今後美白を目指さないとしても日焼けする元気と毛穴のたるみは年齢と共に加速するのでお顔だけには日焼け止めを塗ることをお勧めします。

仕事と出産、育児の両立

私は叔母が経営する訪問介護事業所で働いていました。スタッフ7名程の小さな事業所でしたが、きちんと給料ももらえていたし、何より信頼する叔母が経営者という事で安心感がありました。ところがその叔母が体調を壊し、緊急入院。手術や転院の日程も決まり病院で療養中に長女の妊娠がわかりました。妊娠してすぐに出血し絶対安静となった私。不妊治療の末やっと授かったので、なんとかならないかとスケジュールの調整を頼みに病院の叔母を訪ねました。

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エコー写真を見て泣いて喜んでくれ、すぐに他のスタッフに連絡してスケジュールの調整の許可してくれました。今思えば写真を見せたのはその時が最後です。その後叔母は手術をする為大きな病院へ転院し、直後に容態が悪化。あっという間に死んでしまったのです。今後、事業所をどうすればいいのか、私はどうなるのか、何も聞いてないし、決まってない。そんな先行きのない不安に襲われましたが、同時に仕事関係者への連絡や葬儀の案内、普段の業務、色々とやらなければならない事が湧いて出てきて、悲しみにくれる暇もない位慌ただしく葬儀が終わりました。

叔母の夢だった訪問介護事業所は私が引き継ぐことになり、各関係者にも挨拶周りをすませましたが、いざ蓋を開けてみると、大赤字でとても大変な状況でした。一時はお腹の赤ちゃんの事も忘れてしまうくらい仕事が忙しく、今思うと相当無茶をしたと思います。帝王切開の予定も決まり、入院の前日まで事務所で決算処理をしてました。書類を税理士さんに持って行って、その帰りに利用者さんに薬を飲ませに行って、夕方家に帰って、夕食時に少しお腹が張ってたから、早めに布団に入りました。

11時ごろにトイレに起きた時布団の上で破水。ジャーと音がした様な、大量の破水でした。すぐに病院に電話して、旦那の運転する車で病院へ。夜は手術はできないとの事で朝まで陣痛に耐え、子宮口8センチのところでようやく手術の準備が可能との事で手術室へ行きました。あっという間に産声が聞こえて私は眠りの中へ。なんだか久しぶりにゆっくり眠れた様な気がしました。それから約10日間入院しましたが、仕事の電話はかかってくるし、初めての授乳、沐浴等子育ても始まるしでとても忙しく、退院しても子供が寝ている間に母に預けてすぐ事務所へ行きスタッフのスケジュール確認などの仕事をしてました。

産後2週間ほどで訪問サービスにも入る様になり、自分の体をいたわる暇はありませんでした。どうして急に叔母は死んでしまったのでしょう。今でも一人になると叔母を思い出し問いかけてしまいます。私は事業所を継いで良かったのでしょうか。叔母の気持ちは二度ときけません。間違ってないよ。と言って見守ってくれていると願いたいです。